2005.8.2 慶應義塾で講演と討論、教育改革をテーマに交換留学生・現役学生とともに

2005年8月2日、私は慶応義塾の公式機関である国際関係会の招きにより、三田キャンパスで講演を行い、討論会にも出席しました。テーマは教育改革で、私以外に欧米アジアからの交換留学生15人と同会所属の慶應義塾大学学生52人が参加しました。ここには講演の序文のみ掲載しますが、この前に学生諸君による、学級崩壊やゆとり教育、偏差値、英語教育を巡る簡潔なリポートがあり、私の講演後は6グループに分かれての討論会と発表、意見交換が行われました。午後の4時間近くにわたった全体の議論を提起しみずから参加した中で、日本の教育を巡る様々な課題が提示され、世界の国々の教育の実情も報告され、今後の改革の方向性までも示唆するという有意義な時間を過ごすことが出来ました。詳しいディスカッションを含めて上智大学井上久美教授には厚いご協力を戴き有難うございました。

<講演の序文>(英文略)

 工業化社会から知識集約社会へと移行している過渡期の日本において、変化の波に教育は対応しきれていない。企業においても地域においても仲間を結んでいた連帯意識が希薄になって、集団というものが社会で成立しにくくなり、教育にもそれが投影されている。「集団か個か」はいまの日本の学校教育を巡る問題の核心を突くテーマである。
家庭は、大家族は遠い昔のこと、核家族からさらに個へと分散しているし、一方で、親と子が傷つけあったり関係を保てなくなったりする数々の問題の根底には、少子高齢化のなかで「6ポケッツ」という言葉に象徴されるような過保護と親子の過度の密着がある。
  ここ5年ほど、小学校一年と二年の学級担任の最大の課題は、「いかに学級崩壊させないか」である。子どもが必要としているのは、学校において本来の親のような役割を果たす人であり、家庭において本来の教師のような役割を果たす人である。
  教員の姿勢にも大きな課題がある。集団への順応を重視した高度経済成長期の教育から脱皮し、個々の子どもへの視点を持つことが求められており、そのためには教員同士が世代間の溝を克服し、ネットワークを構築して、一人ひとりの子どもについて瞬時に情報共有することが必要である。また、教員の力によって学校は、子どもに礼儀や規律を身につけさせるという、社会適応のための訓練の場としての機能を取り戻さなければならない。教員自身が、その忙しさの原因を突き止め克服する創造性を発揮すれば、職員室を中心にした情報革命に必ず結びつくし、それを起点に、保護者や児童生徒、地域市民の学校への参加を生み、やがて学校そのものが大きく変革されるはずだ。
  さらに、教員や市民以外の支援者として、心理学的、医学的な専門家や経営を補佐する人材を学校に導入する必要がある。教員以外を受け入れたがらないという学校の閉鎖性は、自分たちが行っている教育に対する自信のなさの裏返しでもある。